最優秀賞

「10数年後、私の面倒を看ている妻に」高橋 誉史信さん(東京都)

父親がそうだったように、家系上80歳を過ぎると認知症が始まる。それはかなりの確率でやってくる。だから65歳の今から謝っておきたい。すまん。
そのかわりと言ってはなんだが、宝物がある。へそくりをちびちび貯めた90万円の預金通帳、残念ながら 目標の100万円には届かなかったけど、仲良し三人女子旅の足しにしてくれ。ギターハードケースの小物入れには、金の延べ板300gが隠してある。知らなかっただろ。
将来一人になっても、子供に見せびらかせば少しは優しくして貰える。
それに照れ臭いけれど、恋愛時代に君から貰ったラブレターがとってある。これはオレの宝物だけれど、 もう一度読み返して若かりし頃を思い出せば 少しは気が晴れるのでは。そして、あの時楽しかったね、と話しかけてくれ。
もしかしたら、ニコッと笑い返すかもしれない。
それは、今までありがとう、という心の合図だよ、きっと。


優秀賞

「究極のコーヒーを入れてくれたお父さんへ」白田 惠さん(宮城県)

お父さんあれは何年前?究極っていう言葉がブームの頃。私が結婚したばかりだから30年も前になるのかな。
究極のコーヒーをご馳走してあげるっていたずらっぽく笑ってコーヒーを入れてくれたこと覚えてる?
お客様用のカップを温めて、豆を手回しのミルで挽いて。真面目な顔でアルコールランプに火をつけてサイフォンで入れてくれたよね。あのコーヒーは本当に究極だったね。15年前、お父さんが倒れて集中治療室で意識が戻らなかった1ヶ月間はコーヒーを断って、毎日お祈りしてたんだよ。目を開けた時、コーヒーもう飲んでいい?って涙目で聞いたら不思議そうに頷いてたね。
右手でペンが持てた時、何もしてあげられない。って悲しい目で書いてたね。お父さんは話せなくても動けなくてもいてくれるだけで私は幸せなんだよ。
だからもう少し私の我儘きいて今日も目を開けて1日を無事過ごしてね。お父さん大好きだよ。


第一三共ヘルスケア特別賞

「4人の子どもを連れ引き揚げて来た母へ」大場 宏子さん(大阪府)

私が小学校に入学したのは昭和23年4月1日。
その7日後に母さんはあっという間に苦しみながら おなかの赤ちゃんと共に天国に召されました。
妊娠中毒症によるものでした。電力不足で真っ暗やみの中、「母ちゃん」、「母ちゃん」と叫ぶ私たち兄弟の声が 耳の奥に残っています。戦後、戦地の父は生死不明。 母さんは妹を背負い私の手を引き、兄2人を見守りながら台湾から引き揚げて来ました。父も帰り、新しい生命も 授かって貧しいながらも平穏な生活を望んでいたのに 先に逝ってしまうなんて、どれほどくやしく歯がゆかったことでしょう。ベビーカーを押し、もう一方の手は3~4歳の子どもの手を引く道行くお母さんを見かけたりすると、当時の母の姿が浮かび胸のつまる思いになることがあります。子どもたちはそろって七十歳代になりました。お互いの近況を語り合い、健康を気づかっています。今があるのは母さん、あなたのおかげです。